高畠華宵(たかばたけかしょう)について

愛媛県宇和島市生まれ。本名 幸吉。
13歳の年に上阪して、日本画、洋画を学ぶ。
その後上京して、更に日本画を学びながら、図案や広告などの仕事に携わるようになったのは、明治の末であった。とくに「中将湯」の広告絵は、モダンでロマンチックな婦人画で注目を浴び、大正4年に27歳の年で『少年倶楽部』に執筆を開始した。
それを機に、彼の作風は絶大な人気を得て、その後約20年間にわたり、少年少女向け雑誌・大衆婦人向け雑誌などの出版美術界に君臨し、一世を風靡したのであった。
彼は、線描によるリアリズムの挿絵画家であった。数多くの挿絵画家を輩出した当時の出版界の中でも、彼の描いた美少年美少女は、透明感のある新鮮なタッチと妖艶な人線描写の混合する魅力的な挿絵として、人々をひきつけた。
彼のペン画による挿絵は、当時の新しい印刷である銅版や凸版にあった技法であり、彼が描く欧米風俗やニューファッションは新しい文化の情報源でもあった。
昭和10年以降は、本格的に日本画に取り組み、その後絵本などにも描いた。

 

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