甲斐常好(かいつねよし)について

1910年(明治43年)宮崎県延岡市に生まれる。本名 友好。
大正ロマンの画家として有名な、高畠華宵の最後の内弟子として絵を学ぶ。
弟子をやめてからは、出版社や広告会社で働き、雑誌の挿絵を描いたり、広告デザインの仕事をしていました。しかし、好きな絵を描くことは辞めず、市井の画家として享年100歳で亡くなるまで、絵筆一筋の道を歩んだのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲斐常好(当時友好)が高畠華宵に弟子入りした頃。鎌倉の華宵御殿にて。大正15年5月。

写真は左から、弟子(森武彦)、華宵宅婆や、華宵の叔母(山本)、華宵の母(チヨ)、高畠華宵、弟子(甲斐友好)、弟子(加藤清一)、弟子(牧野助次郎)。

ワンちゃんは左から、ブルドック(ブー公)、犬種不明(チー公)、テーブルの上に仔犬2匹(名前不明)、甲斐友好が抱いた仔犬1匹(名前不明)、土佐犬(名前不明)、セッター(名前不明)。            


 

甲斐常好 25才のころ